どうもです。イーダです。
2011年(平成23年)、三洋電機株式会社は
パナソニック株式会社(旧 松下電器株式会社)
の完全子な会社となリました。
この前後の数年間で役員のほとんどが社外に
去り、グループ10万人を超える巨大企業が倒産
を経ずに、パナソニックの子会社のまま、
法人格の状態で事実上消滅するという、
前代未聞、日本の経済史でも初めてのケースと
なった会社です。
もくじ
1. 三洋電機が消滅した本当の理由とは?
三洋電機がパナソニックに買収される始まりは
リーマンショック後の2008年(平成20年)
でした。
当時のパナソニックは、三洋電機を東証の上場
を維持させる方向でいました。
三洋電機というブランドを残して三洋電機社員
の雇用も守る考えでした。
しかし、三洋電機はパナソニックの子会社と
して表面上の組織形態を残しながら、その存在
が消えてしまったのです。
その理由には、多くの度重なる製品事故や
不祥事が挙げられていますが、
本当の理由は、アメリカによる独占禁止法審査
の遅れと、これと同じタイミングで重なって
しまった、中国と韓国の技術進歩と
マーケティングパワーの脅威的拡大です。
パナソニックが三洋電機の事業で最も期待して
いたのが、リチウムイオン電池やニッケル水素
電池などの2次電池でした。
当時、リチウムイオン電池の世界シェアは
三洋電機が23%、パナソニックは8%でした。
特に三洋電機の技術力は世界的にも高く評価
されており、パナソニックが三洋電機を
子会社化して両社の電池事業を統合することで
世界的な電池市場を事実上独占する計画だった
のです。
しかし、ここで予期せぬ事態が起こリました。
三洋電機とパナソニックの両社が2次電池で
高いシェアを占めるアメリカで独占禁止法の
審査が遅れ、パナソニックは三洋電機を
子会社化するのに、何と1年を要す結果と
なったのです。
一方、世界経済はこの1年という時間の中で、
大きくその有り様を変えていきました。
円高に加え、中国や韓国メーカーの台頭で
三洋電機の事業競争力が大きく低下しました。
パナソニックは三洋電機の買収に8千億円を
投じましたが、三洋電機の企業価値低下に伴う
損失で約5千億円の赤字を計上する始末です。
社名やブランドを守るどころではなくなって
しまったのです。
出典 https://www.google.com/
2. 残された元社員の処遇は?
その結果、両社が重複する冷蔵庫や洗濯機など
の白物家電やデジカメなどの事業は海外企業
などに相次いで売却されました。
残った事業でも三洋電機出身者は冷遇され、
人員削減も加速されて優秀な人材の多くが三洋
を去ったと言われています。
また、本社勤務の財務や人事、法務などの
間接部門の三洋社員を対象に早期退職の募集が
行われました。
売却されずに残った太陽電池などの事業は
パナソニックの事業部に統合され、社員の多く
は三洋電機に籍を残したまま出向の形をとり、
パナソニックの社員より低い給料で働いて
いました。
パナソニックは三洋電機の子会社化後も登記上
の法人格を存続させていました。
ただ、三洋電機の事業の多くが既に売却され、
約10万人の社員は散り散りバラバラにされ
ました。
残った社員は1割以下の7千人程度。
法人格が残されているとはいえ、人事制度が
一本化されれば、両社の統合は実質的に完了
します。
子会社化後も三洋電機に残った社員の人たちは
「三洋電機が解体されていくのはとても
寂しい。だけど、パナソニックの一員として
前を向いて頑張っていくしかない」という思い
だったそうです。
恐らく、これから起こる三洋社員の処遇など
想像もできなかったでしょう。
その後のパナソニックでは、取締役はおろか
事業部長レベルでも三洋出身者はほとんど
いなくなりました。
また、三洋電機の冷蔵庫事業部門と洗濯機事業
部門で働いていた人々は、パナソニックによる
三洋電機の買収で、一度はパナソニックの一員
になりました。
しかし、それから3年も経たないうちに、
パナソニックはこの両事業部門を中国の
家電大手であるハイアールに売却したのです。
この方々は今、中国企業の一員として働いて
います。
一度はライバル企業に買われ、落ち着く間も
なく今度は中国企業に売られたのです。
出典 https://www.google.com/
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3. 最後に 〜まとめ〜
パナソニックが巨額を投じて三洋電機を買収
したその効果は、当初の狙いどおりでは
なかったでしょう。
それでも、パナソニックの今日までの躍進は、
かつての三洋電機の技術や事業の多くが重要な
要素となっています。
以下は元三洋社員のことばです。
「ものづくりにおいて、『できない』とか
『無理』だとか言ってあきらめること。
Made in Japanをあきらめ、イノベーションを
あきらめた結果としての日本の電機産業の衰退。
その果てに三洋電機は消えてしまった。
決して日本でのものづくりをあきらめては
いけない。」