雲田康夫の、豆腐を売る「気づき」はコレ!アメリカでの奮闘ぶり!!

どうもです。イーダです。

豆腐をアメリカ全土に健康食品として広めた

ことで有名な雲田康夫(くもだ やすお)さん

皆さん知ってました??

今回は、当時アメリカで全く食品として

認知されていなかった豆腐を雲田さんは

どのようにして人々に知らしめて、人気を得る

食べ物に仕立てたか、その営業についてお話し

させて頂きます。

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1. 雲田康夫の豆腐営業の気づき!

雲田さんのアメリカで豆腐を売る気づきは

ズバリ!以下のものでした。

その基盤となるものは、

豆腐に対する固定観念の打破

「郷にいれば郷に従え」の精神

です。

・豆腐は角ばった立方体で、白である必要はない
「豆腐は四角で白い」ということは、アメリカ人にとってはどうでもよいことである。

・日本の食文化としての冷や奴や味噌汁、麻婆豆腐が豆腐の全てではない。
アメリカ人には「旨み」という味覚が分からない。冷や奴の上にかけたか鰹節を気味悪がる。鰹節を手で掴んでかけたのを嫌う。味噌汁を教えても作らない。

でした。

雲田さんは1958年に渡米して現地法人を設立。

豆腐の販売を開始しました。

しかし、何年経ってもなかなか上手く売れない

状況が続きました。

もう、会社を閉じようかと思い悩んでいた

矢先、ある食料品店でアメリカ人女性が豆腐を

無造作にショッピングカートに放り込んで

いるのを見かけました。

雲田さんはその女性にどうやって食べるのか

聞いてみたところ、豆腐をシェイクにして

食べるのだと言います。

その時初めて「豆腐は四角で白い」という

ことは、アメリカ人にとってはどうでもよい

ことなんだと気づいたそうです。

また、雲田さんはこれに併せて、アメリカに

来たのだからアメリカのやり方で勝負

しなければダメだとも気づきます。

そう、「郷にいれば郷に従え」の考えです。

雲田さんはアメリカ人はどんなものが

好きなのか、徹底的に調査しました。

当時、メディアなどがアメリカ人の一番嫌いな

食べ物として豆腐を取り上げていました。

そこで、雲田さんはどうして豆腐が

ワースト・ワンなのかを調べることに

しました。

スゴイことに、これを目的として、雲田さんは

世帯の年間所得が違う3家庭にホームステイ

して、その家族料理を食べさせてもらった

そうです!

以下はその結果です。

年収3万5000ドルの家
週7日のうち5日はマクドナルドや冷凍食品とマッシュポテト。お腹いっぱいに食べられればいいという食事。豆腐や寿司という話題も出てこない。
年収6万5000ドルの家
冷凍食品、缶詰、マッシュポテトなどのプレートディッシュ。寿司は知っていたものの食べた経験はなし。
年収9万5000ドルの家
ようやく、月に1回は寿司を食べる。

アメリカ社会は日本では考えられないほど

格差があります。

豆腐が分かる人はある程度高学歴で、栄養学が

分かる人です。

英語では植物性脂肪も動物性脂肪も

全て「fat」ですから、この差が分かる人で

ないと豆腐の価値が分からないのです。

このような理由から、日本ではテレビで

コマーシャルで分かるものも、

アメリカ人には通じません。

広告、販促活動、全てやり方を変える必要が

あったのです。

出典 https://www.google.com/

2. 雲田康夫のアメリカ奮闘ぶり!!

雲田さんは青山学院大学を卒業後、

森永乳業株式会社入社されました。

その後、会社はアメリカに

森永乳業現地法人豆腐販売会社MNF社を

設立し、 雲田さんは初代社長に

就任されました。

1985年(昭和60年)のことです。

豆腐の販売は当初から苦戦です。

森永本社からは3〜5年で自立せよとの方針を

受けていましたが、販売がなかなか上手く

いきません。

そのような状況下、一番苦しかったのは、

1988年(昭和63年)にUSA Todayの記事で

「アメリカ人の嫌いな食べ物」として豆腐が

一番になったことだそうです。

その後の数年間は、アメリカに豆腐を広め

ようと血の滲むような努力をするも、

良い結果はなかなか出ませんでした。

そんな中、偶然の出会いから、豆腐に対する

固定観念を捨てることと、

「郷にいれば郷に従え」の考えを再認する

ことに気づかされ、それに活路を見出します。

また、当時のクリントン大統領夫人である

ヒラリー夫人の

『ビルに豆腐を

食べさせてあげたい』

という発言

を車のラジオで聞いた雲田さんは、

なんと!ヒラリー夫人に豆腐を送って

差し上げたのです。

これが大きな気っかけとなりました。

ニューヨークタイムズやワシントンポストにも

取り上げられ、

これまで相手にしてくれなかったバイヤー

からも注文が入るようになりました。

このようにして、アメリカ豆腐市場を確立する

ことになったのです。

当時の豆腐の不人気を象徴する出来事がいくつかあります。

交渉に行ったレストランチェーンのバイヤーからある日、豆腐を数ケース送ってくれと依頼があった。喜んで話をしていると何かおかしい。よくよく聞いてみると、豆腐が大好物だというのはその家の犬のことだった。

フードショーに出展していた最中に、忙しさのあまり5ケースほどの商品を路上に置き忘れてしまった。それに気がついたのが夜中。悩んだあげく翌朝一番に現場へ行くと、朝霧の中に豆腐が5ケース、誰も手をつけず、盗まれもせずに放置されていた。

1992年(平成4年)のロサンゼルス暴動の折には、豆腐を扱ってくれていた韓国系スーパーが略奪の被害に。お見舞いにオーナーへ電話をすると「心配しなくていいよ」という。「あなたの豆腐は誰も手をつけなかったから」。

路上に一晩放置しても誰も持って行かない。
略奪者にも見向きされない。
豆腐はそんな不人気な商品でした。

出典 https://www.google.com/

3. 最後に 〜まとめ〜

如何でしたか?

雲田さんは、アメリカ現地法人の駐在員として

どんな戦力が望ましいかを発言しています。

多くの企業は英語の能力で選ぶでしょうが、

これは間違だと言っています。

確かに英語力は大切だが、それ以上に必要な

ものはタフであること。

そして情熱を持ち合わせていることだと

言っています。

英語の能力より、仕事に悩み苦しんでも

タフさで乗り切れる人、その国の人たちが

どんなことを求めているのか柔軟に

対応できる人、情熱を持って仕事に

チャレンジできる人。

自分が関わる製品・商品・サービス、

そしてビジネスに愛情と情熱と誇りを持って

お客さまと接していれば、必ず道は開けます

よね。

とても当たり前でシンプルなことですが、

ついつい忘れがちな事がらです。

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